『09 音楽』


今回のテーマが「音楽」だということに気付かずに、
前回の時に思い切り音楽話をしてしまった、うっかりものの浅羽です(苦笑)
とかいいつつ、すでに語る体制になっていたりして(笑)


浅羽は小さい頃から歌が大好きで。
テレビで流れるアニメの歌から、CMとか、歌手が歌う曲まで、
家ではほとんどテレビは点けっ放しだったので、
テレビサイズでとか中途半端なりにも色々と歌ってたりしていました。

学生の頃も、近所に同い年の子がいなかったので、学校帰りも一人でいる距離が長く、
一人で歩いていてもつまらないからと、浅羽がしていたのは歌詞を覚えること。
ノートに歌詞を書いて、それを見ながら、歌いながら、覚えながら帰る。
さすがに大きな声で歌いながらというのは、出来ませんでしたが(笑)

車や人通りもほとんどないくらい少ないところなので、
小声で歌っているくらいなら迷惑にはならないというわけです。
まぁ、小さい頃から、そんな変なヤツです(笑)

そんな子供時代を過ごしてきてしまったせいか、
無音だと何か落ち着かなくなってしまうんですよね(苦笑)
おかげで未だに車の中では無音にすることがほとんどなく、
カセットに色々とダビングしては、一緒に歌いまくっている人間となってます。
「三つ子の魂百まで」とはよく言ったものだなと(笑)


ちょっと話は変わりますが…
先日、「もしも何もかもが信じられなくなったら、何が一番信じられるだろうか」
なんてことを、ふと考えたことがあります。
そこで思ったのが、「文字」であり「言葉」であり「歌詞」であり「歌」なのかなと。
って、これだけだと誤解を生じると思われますが(汗)

本や小説に書いてあった、自分が良いと思えた「文字」や「言葉」の部分。
歌詞カードを読んで、ここの部分が好きだと思った「歌詞」の部分。
CDで流して、このメロディーが良い、このギターが良いと思った「歌」。
そんな全部をひっくるめて、自分が何処かしら「良い」「好き」と感じたもの。

「歌」は誰のことも裏切らない。そう信じてる。
例えその歌を書いた人が、心にもないことを書いた歌だとしても、
何処かしらその人の中にあるから、書かれたものじゃないかって。
無意識に書いたものだとしても、その人の中に無ければ出てはこないのではないかって。

それに、そんな歌だとしても感動したり、良いと思ったり、好きだと思った自分の気持ちは、
何よりも偽りようのない、真実ではないかと。
だからといって、それ以外のものは信じないとか、そういう意味ではないですよ(汗)

歌うに恥ずかしい曲がないとは言いませんが、好きなものは好きなわけで。
そうなると、数年前に流行った曲だろうが、誰も知らない曲だろうが、
何も気にせずにカセットにダビングして、何度でも聴いてしまう。
だから、たまに同乗した人に「懐かしい」と言われて「あぁ、そっか」と思う始末で(笑)
時代が過ぎようが、好きなものは好き。それが浅羽流(?)


浅羽が好きになる歌というものは、もしかしたら何かしらの法則があるのかも知れませんが、
自分自身では、まったく気付いていない、解らないというのが現実で。
それでも、声が良いとか、歌が上手いとか、そういったものに惹かれる傾向はあります。
そして、系統的に考えればR&B系を好むだろうということも分かっています。
だからといって、流行の歌手が好きだとは言い切れない。どちらかと言えば、マイナー好き。

でも、あまり好きではない歌手でも、「この曲は好き」ということもありますし、
あまり歌が上手くないと思う方でも、「この曲は好き」というものもあります。

そう考えると、浅羽の「好き」は紙一重だなと(笑)


あと、色んな人の音楽を聴いてみたいというのも個人的な願望。
といっても、ハードロックとか、演歌とか、洋楽はほとんど聴かないのですが(汗)

この世には、まだまだ自分が知らない歌が沢山あります。
言い方は悪いかも知れませんが、
もしかしたら、ゴス以外にもっとはまる歌手がいるかも知れない。なんてことも考えていたりします。
だからといって、いい加減にゴスのことが好きだと言っている訳ではありませんので、悪しからず。

でも、まだまだゴスを超える歌手には出会えていないというのが現実です。


No Music No Life.
浅羽に対して言えば、ただの音楽依存症?(苦笑)


2004/6/8(TUE)



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