『14. 死ぬこと 』


死ぬこと。それはそれまで生きてきた人物の人生を終わらせてしまうこと。
そして、そこから先にあるであろう未来を見ることが出来ないこと。
とか言いつつ、実際にはもっと別の適切な言葉があるのだと思いますが(汗)


浅羽が昔から時々落ち込みすぎたりすると思ってしまうのは、
「自分が死んでも泣いてくれる人はいないかも知れない」ってことで。
まぁ、おかげさまで最近はそこまで思うことなく生きていますが。

でも逆に、ふと今こうして打ち込みながら思ったことは、
「自分が死んだ後、自分の思い出してくれる人がいるのだろうか」なんてことで。
何となくですが、大した理由ではなくても思い出してくれることというのは
「少なからず、その人の心の片隅には自分という存在がいてくれるんだ」
ということにならないだろうかと。

自分であれ、誰かであれ、人が亡くなるということは、
その人物の実物というものが、何所にもなくなってしまうことであって、
もう二度とその人とは会うことが出来なくなってしまうことであって。
でも、誰かが覚えていてくれる限りその人物が生きていたという証があるのかなって。
だから、誰にも思い出されることないままだとしたら、
それが本当の意味で終わりなのかな?なんてことを思ってみたのでした。

写真とか、記録されるものもありますが、いくらそういったものがあったとしても、
それが誰かが分からなければ、その人物だとは言い切れなくなるだろうなと。

そういったことを考え始めて思ったことは、
自分がこうしてサイトを開設して、詩や文章などを掲載しているということは、
自分が生きてきた証というものを残しておきたいのかも知れないですし、
自分にとっても当時の記憶を忘れないようにしているのかも知れないですね。

そういった意味でかんがえると、サイトの日記が良い例かも知れません。
本人はそのつもりがなくても、その日の感情や記憶などを日記というもので
記録しているようなものかも知れませんしね。


個人的な願望としては、眠るように亡くなることが理想ですかね。
その考えは本当に甘い考えだとは思いますけど、あくまでも願望ですから。
でも、明日交通事故で亡くなる可能性が誰しもないとは言えないことでもあります。

近頃の個人的事情や感情などのことを踏まえて考えてみると、
出来る限り早めの行動をして後悔してしまうことを少なく出来たら良いなぁと。
マイペースでいることは多分変わらないのかも知れないことですが、
少しは余裕を残すくらいの早めの取り掛かりが浅羽には必要なことかも知れません。

『明日死んでも後悔しない 今を君は無駄にしてないかい』
なんて言葉を、ある詩で書いたことがあります。
未来は誰にも知ることは出来ないし、誰にも分からないこと。
だから少しでも明日出来ることは今日から始めるくらいの気持ちにさせたいなと。
後悔するのは誰でもなく自分なのだから。


2004/11/21(SUN)



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